洋梨のカタチしてるけど、和梨です。

シンガー・アーティスト 阿雨里 芽芽 (a.k.a. Sista Mei-Me)と 一緒に、‘自分’を旅してみませんか?? 合言葉は ~ I am, I soar ! ~ 私でいる、翼をひろげて。 知らず知らず まとってしまったベールを1枚1枚脱ぐように、くもった鏡を1回1回拭くように。何の制限もないところにいる私は、どんな ‘自分’ だろう。 Starting with the WOMAN in the mirror ♡

ぜんぶ逆だった(受けとり上手への道♡)

療養していると

あぁ、考え方や行動、ぜんぶ逆だったなぁ

という気づきが本当にたくさんあります

 


最初は

病気の事はなるべく言わないでこっそり手術して、すぐに復活しよう、できる、

と思ってました

 

 

お祈りの力を実感することが度々あって

(事故にあった友人がクリスチャンで、たくさんの教会の人達が彼のために祈って、驚異的な回復をみせていたり、私も神様をおどすかのように祈り倒して(笑)念願の大きな仕事にたずさわれた事があったり 等々)、

今回の病気も

お祈りで病変を消すのを体現しようと思ったのです

 

その時は

純粋に「そんなことも出来るんだ!」って、みんなの心に光がさせばいいと思ってたのですが、

今となっては、奇跡を起こしたいというより、『奇跡を起こした 人』になりたいというエゴだったなと思います(笑)

 

…なもんで、見事に、打ち砕かれました(笑)

 

外科手術を終えた後、術後の治療で まさかのフルコース(抗がん剤治療放射線治療→飲み薬)を主治医に勧められ、

Facebookと、このblogに、正直に「嬉しくない知らせに凹んだ」と投稿しました

今までは、そんなことを書くのは同情をひこうとしてるんだと決めつけて、そんな事がしたいんじゃないからと、陰で誰かに甘えるとかもほとんどしてこなかった気がします

でも

主治医の知らせに凹んだところから、頭の整理がつくまでの過程、その結果、落ち着いた境地に至ったこと、それなら書けると思ってblogを書いたのでした →(人生、タラレバしててもしょうがない(決意表明) - 洋梨のカタチしてるけど、和梨です。

 

リンクをはったFacebookにはものすごい数の励ましが届き

みんな大変なことを乗り越えてたことも知りました

 

 

そう、全部、逆だった のです

 

 

なんでひとりで抱えてたんだろう

 

がんばりたい、このままでいたくない、って気持ちがあるかぎり

どんなに情けない姿でカッコイイとこ何も見せられない状態でも、復活を信じて応援してくれる仲間がたくさんいるのに

 

 

全部、ぜんぶ、逆だった

 

 

そういえば

こんなことも…

 

先月、久しぶりに東京へ戻り

ちょうどお世話になっている先輩のバースデーイベントがあったので、これまたお世話になっている先輩たちとお出かけしました
そしたら、行った先で 色んな知り合いに「会えて嬉しかったよー」「直接 顔を見れてよかった!」と言われ、
みんな 満面の笑顔、スッゴイ笑顔! だったのです


歌も歌ってないし、ほんとにただ行っただけなのに

私が行きたい!と思ったから行っただけなのに

「会えて良かった」って、言われたほうは こんなにも感激するものなのか、と今さら実感

 


今までも

「芽芽先生に会えて歌が変わった」「芽芽先生じゃなかったら今の私はいなかった」等々、

信頼の言葉を伝えてくれた生徒ちゃんやクライアントはたくさんいたけど、

それは、こちらもレッスンなりセラピーなりを提供しているから、それに対する評価だと思ってました

 


ただ行っただけで喜ばれるって、

何なん(* ̄∇ ̄*)

 


私の中のビビリちゃんは、まだ少しビビってます(笑)


いやはや、

前にもこのblogに書きましたが  (いま何をおいてもやらなくてはならないことに取り組んでみてる。 - 洋梨のカタチしてるけど、和梨です。

『何もしてないのに愛されてる自分、を罪悪感を持たずに受けとめる練習中』なもので(笑)

 


ただいてくれるだけで嬉しい、ってことを自分にゆるすと

自分の周りの人達に対しても、

私に何かしてくれるとか その人が人生で何か結果を出すとか そんなことの前に、

ただただ そこにいてほしい、しあわせでいてほしい、助けてって言われたら助けに行こう、それまではその人の底力を信じていよう、…

そんな気持ちが湧いてくる


私のことも

私の底力を信じて待っていてくれる人達の、顔が、声が、

たくさん見えてくる、たくさん届けられてくる

 

がんばらなきゃ、結果を出さなきゃ、という思考回路でいた時には 見えなかった景色が

ほんとうに次々に見えてくるんですね(^^)

 

 

たのしいことをして生きる、っていうのは、

気をつけないと『たのしくないことから抜け出せない自分はダメだ』になりやすくて、

たのしく生きてる人と自分を比べてさらにスネてしまってる人もよく見かけます

 

でも

 

『たのしく生きる』の本当に本当の意味は

自分が やりたい!行きたい!ワクワクする!と思ってやることは、

大人としてこうするべき、みたいにがんばってやることよりも、

愛とかあたたかさみたいなものの

    交流

が 半端なく、

いやもう 半端ないなんてもんじゃなく、

想像の斜め上をゆく、大きなうねり、幸せなうねりになって、やってくるよ、ってこと!

だなと、実感している この頃です(^_−)−☆

 

 

たのしく生きる、を本当にやれているときって、『身体の感覚』として 細胞が幸せにプルプルしてる感じと、『脳みそ』的には 過去も未来もなく目の前のことに没頭してたなって'後で'気づくから、

それも目安かな…(^^)

 

 

何かを失わないように、ググッと力をこめて握りこぶしにぎってるなんて

    逆ですよ~~~(笑)

ふわっと 手のひら上に向けてひらいてみたほうが

身体はユルんでリラックスしていたほうが

'失わない'を通りこして

いっぱい手にするものがある!

…それ、ホントでした(^^)、弱さをさらけ出せる強さを手にし始めた私が、いま本当に実感している気づきです

 

 

身体の反応にかくされた重要なメッセージにも、気づかされることが多い日々、

それについても、少しずつ、綴っていきますね(^^)